ひびのたねまき

ゆたかな気持ちが循環すればいいな、と日々のあれこれを拾って種をまいていくブログです。

誰かのために、という優しい気持ちはときどきでいい

こんにちは、お盆も過ぎましたね。

猛暑が続く日々ですが、お変わりなくお過ごしでしょうか。

ゆたかリストになりたいエメごろうです。

 

最近思ったこと。

 

「〇〇(誰か)のために自分はもっと頑張らなくちゃ。(本当は気が進まないけど)」

 

は休み休みでいいということ。

 

四六時中、自分を犠牲にして考える癖がついていた自分は

もっともっとの罠にはまって、身動きが取れないところまでいきました。

 

「あれ?どうやら四六時中、自分を犠牲にして他の人のためにって考えているのって、実は少数派?(もしかして、みんなもっと要領いい?)」

「自分の力や時間を自分のために使うのに、なんで罪悪感持ってたんだろう?」

 

幼い頃から生き抜くために身につけた「他人の期待に応える」こと。

それは大事なことなんだけど、常に「自分を犠牲にしてまでやる」のは実はやりすぎだって気づいて。

気づいてもなかなか自分を後回しにする癖が抜けなくて。

 

 

 

 

ここまで生きてこられたのは、この考え方があったから。

でもこれからは少しゆるめて、違和感があったら「自分は、本当はどうしたい?」ときくことをしていこう。

 

「自分の頭で考える」って自分の体の声を聞くために耳を澄ますことでもあるんじゃないかな。

自分もハッピー、みんなもハッピーな明るい方へ歩いていこう。

 

心が解放される眺め。自由ってこんな感じかもしれません。

 

 

 

 

 

真面目が好かれないのって

こんにちは。毎日暑くてこれぞ夏本番ですね!

自宅では日中でも雨戸を活用している、ゆたかリストになりたいエメごろうです。

 

ふと思ったこと。

 

よく言われちゃう「あなたって真面目だね」って言葉に、つい反発したくなったり、ブルーな気分になぜなるんだろうと思って。

 

「しんめんもく」や「しんめんぼく」と読む本来の意味であれば、「人や本来の物事のありさま」「真価」という意味がある言葉。

昔読んだ羽生善治さんの「大局観」と言う本で出会って、ハッとした言葉。

この意味であれば反発なんて起きない。

 

ずっと答えを保留にしてて。

最近ふとご飯食べてるときに浮かんだこと。

そして、これは自分のことです。自戒のために残します。

 

今年の蓮の花。去年の自分との約束を守れてうれしい。

 

真面目が好かれないのって

 

他人が決めた決まりを、かたくなに守っているから

そこに自分の感情や価値観がないから

 

人の言うことを聞くだけ

そこから先どうしたら明るい方向に向かえるか考えることがない

 

だって、人のことなんだもの

やらされているだけなんだもの

 

きっとこれかな

心当たり、ありすぎる

 

そう考えざるを得なくて生きてきた人たち

よく生き抜いたね、よくやった

 

でも、手放してもいいかもしれないよ

 

人の決めたことにしがみつくのって、苦しくない?

 

自分を中心にして考えてもいいんだよ

耳を傾けて、自分の心に聞いて、頭に聞いて、決める

そんな余裕を持っていいんだよ

自分のペースでいいんだよ

無理に縁をつながなくていいんだよ

ダメなときがあっても、そのときまかれた種は

きっとどこか、日の当たる場所につながっていくから

 

 

 

自分の薬ってなんだろう?

こんにちは。ゆたかリストになりたいエメごろうです。

 

乱読が得意な自分ですが、直近で引っかかっている本があります。

坂口恭平さんの「自分の薬を作る」です。

 

「躁鬱大学」も読んで気持ちが楽になりましたが、「自分の薬を作る」の方が、自分の中にある種にお日様の光を注いでもらった感じがあります。

 

「自分の薬」とは、自分にしっくりくる「日課」を作ること。

「自分の声」を聞いて、自分と相談して、やってみて、過ごしていく毎日のこと。

 

トロピカルタルト
パッションフルーツのジャムがかかっていて、中にはパイナップルやマンゴー等の夏を感じるフルーツがゴロゴロ。

 

 

生き方のステージを変えようとコツコツ積み上げている自分がいつか取り組みたかった課題。

それが、「こうしたらいいよ」とやり方が差し出されたような本でした。

まだ消化できていないけど。

でもやってみたかったことがやれそうな気がする。

 

気負わずにふっと手が動いたことを淡々とやってみる。

それに意味はつけなくていい。

夢中になれたり、体が軽くなったら、それでいい。

 

「つくる」ことって、本当は小さい時から憧れていたかも。

選ばれた人だけができるものでもなく、ただの自分でも手を伸ばしていい。

アホらしくていいし、オリジナルじゃなくてもいい。

小さく手を動かしてみよう。

 

色々な濃さの鉛筆を手に入れてみようかな。

白い紙の上に、色々な濃さ、太さ、ニュアンスの線や面。

無心に書いてみよう。

頭の中の何かを外に出してあげよう。

 

 

 

「できた、できた」

「できた、できた」

夜、ぐっすり寝れた

朝、ちゃんと起きれた

 

「できた、できた」

窓を開けて、風を通して、深呼吸をひとつ

ついでにもうひとつ

 

「できた、できた」

顔を洗って、さっぱりした気持ちで

朝の身支度

 

「できた、できた」

朝ごはん食べた

おいしく食べた

 

「できた、できた」

元気いっぱい、「行ってきまーす」

 

「あの子はできてるのに、それに比べて自分はなんでできないんだろう…」

「できない自分はダメだ…」

「もっともっとやらないと、こんなんじゃ全然ダメだよ」

自分責めの言葉が止まらなくて

つらい辛い時に

フラットな心に戻す、まほうの言葉

 

「できた、できた」

 

お試しあれ

 

 

自分なんかが

自分なんかが、

とつい思ってしまうことを手放そう

 

それは

過去の恥ずかしい記憶が自動再生

人と自分を比べて

自分を落としておくほうが安全だ

 

なんて、苦しい考え方なんだろう

 

今は今

ここにいる自分のままでいい

 

気持ちを平らにたいらに

 

軽くかるくなっていこう

 

 

しあわせは、ゆれる梢と小鳥の声

お久しぶりです。あっという間に春めいてきた今日この頃、みなさまはいかがお過ごしですか?

ゆたかリストになりたいエメごろうです。

 

節分を迎えてから、シジュウカラの声で目を覚ます日が増えてきました。

なんともいい声ですね、ツツピー、ツツピー。そろそろ恋の季節なんだな、春が来るんだなと幸せな気持ちになります。

 

コロナ禍で近所の散歩に目覚め、そして野鳥に夢中になりました。

最初は、川に来ていた冬のカモたちがきっかけ。え、白と黒でくちばしが青いってどんな鳥なの?!と初めて目にしたキンクロハジロから、どんどん鳥の世界にハマっていきました。

図鑑を眺めているだけでも楽しいし、実際に見た鳥はなんだろうと調べている時間も楽しい。そうすると生態にも興味が出て、図書館で本を借りまくったり。遂には家人も散歩に巻き込んで、一緒にカワセミを見たことから同じ沼に。お互い、「今日こんな鳥を見たよー」と報告し合うようになりました。

色々な鳥を見たくて少し遠くの公園まで足を伸ばして見たり、苦手だった山歩きにも興味が出て毎日地道に筋トレを続けてます。

また、冬鳥や夏鳥の来訪、鳥たちの行動で季節を身近に感じられるようになって、毎日が楽しくなりました。

水前寺成趣園の池に佇むダイサギ。しばらく見惚れていました。

刺激的な世界に探しに行かなくても、楽しいことはもともと「ある」んだな。そう、気づくだけで毎日が楽しくなることって実はたくさんあるじゃないかな、とピカピカな発見をした気持ちです。

風に吹かれて揺れる梢に止まって鳴いている小鳥たち。水に気持ちよさそうに浮かんでいる水鳥たち。大空を自由に舞っている鳥たち。見ているだけで、ううん、思い浮かべるだけでも幸せな気分になります。

柚木沙弥郎さんの「燕のうた」
のびのびと飛ぶ姿とユーモラスなお顔が好き。4/2(日)まで日本民藝館で見れます。


みなさまは幸せな気分ってどんな時に感じますか?

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

初めて美しいと感じた「のに」

冬本番の寒さがやってきましたね。大荒れの天気の地域もいらっしゃるかと思いますが、つつがなく過ごされているよう祈っています。

 

ゆたかリストになりたいエメごろうです。

 

この季節、湯船に浸かるのが至福のひとときです。お供には本を持ち込んで、ゆっくり時間を過ごすのが楽しみのひとつです。

 

今回、久しぶりに手にとったのは、辰巳芳子さんの「庭の時間」。今の季節の章である「一月 椿の真意」から読み始めてまもなく行きあたった文章に、はっとしました。

「お母様、椿のなにがそんなに好きなの?」

と絶えてたずねてみなかったことが悔やまれてなりません。

 台所のテラスの真下に白の侘助と、西洋指抜きほどの金魚椿を植え、台所仕事の足下で侘助の城に遊ぶ、メジロホオジロを楽しむ、良質の遊び心を持っておりましたのに。

 人の好みは、暮らしを共にすると察せられ、慣れた心添えも出来てしまいます。ここに油断が生じ、わかっているつもりになるのでしょう。ですから、そのわけを折に触れ、言葉を介して知ろうとするのことは、より人間的なことでありましたのに。

 あれは、あやまちの一つでございました。

ここで使われている「のに」という言葉。なんと美しいことでしょう。目が開かれる心持ちがして、人の心の美しさにじーんとしました。

実は、「のに」という言葉に対しては、あいだみつをさんの詩のイメージが強烈に焼き付いていたので、良いイメージを持っていなかったんです。

たしかに、もっともだなあと思って心に焼き付いていた詩

 

改めて二つの「のに」を比べてみると、違いがあることに気づきました。

辰巳さんの方は自分の行いに対して使っているのですが、あいださんの詩の方は他者のためにした行動に対する期待が満たされない時に出てくる言葉のようだということがわかりました。

はー、目から鱗です。

だれしもついつい思ってしまうけど、無意識だったとしても他者をコントロールしたくて使う言葉は美しくないんですね。言われてみれば当たり前かもしれません。

同じ言葉でも、自分も周りの方も心地よく感じる言葉を使っていきたいです。

とっても難しいことですが、心がけるだけでもきっと違う世界が見えてくるはず。少しずつ、少しずつ気づいて自分を育てていこう。

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。